【ブランド作りを考える①】「食」でクリエイターと繋がり、「食」をブランド化していく仕掛け
見出し画像

【ブランド作りを考える①】「食」でクリエイターと繋がり、「食」をブランド化していく仕掛け

こんにちは、スパイスボックス・広報担当の阿久津です。

先日、Social Branding Lab.主催で「SNS時代のブランドづくりとキャリアについて考える【ブランドと人生のデザイン論】」というテーマで、2日に渡ってオンラインイベントを開催いたしました。

その中でも、今回はフードディレクターの土屋きみさんのお話を一部、記事としても配信したいと思います。

スピーカー紹介

メインスピーカー:土屋 きみ(フードディレクター)
小学時代をタイ・バンコクで過ごし、高校をアメリカ・シカゴで卒業。大学在学中に、アメリカ・ニューヨーク、オーストラリア・シドニーにて地域情報紙のフードライターとしてインターンシップを経験。「食とその周りに集まる人」を繋いで行くことを一生の仕事にしたいという志のもと、フリーランスのフードディレクターとして活動中。
「NEW YOLK」「鶏革命団」の2ブランドを主宰しつつ、「Chè 333」の運営者。また商品の開発、店舗のプロデュース、食に関わるキャスティング等も行う。

土屋さん

ファシリテーター:角田 和樹(株式会社スパイスボックス)
​​2014年スパイスボックス入社。執行役員 / アカウントプランニング部部長として、全社の「営業戦略立案〜実行」と「プランニング実績強化」を推進中。ソーシャルリスニング / SNSキャンペーン / インフルエンサー / 動画など、デジタル領域の様々な手法を用いて、生活者とブランドを“共感”で結びつける「エンゲージメントコミュニケーション」の戦略立案 / 企画が得意領域。

角田プロフィール写真

エンターテイナーになりたくて

角田:まず、どんな学生時代をおくってきたのかお伺いできますか?

土屋:高校3年間をアメリカで過ごしたのちに、日本の大学へ進学するんですけど、当時からの夢が「エンターテイナーになりたい! 」だったんですね(笑)。中学時代は吹奏楽に所属し、高校時代はダンスを一生懸命やっていて、大学時代には絵の教室や、陶芸、ボイトレなど様々な習い事にも手を出したのですが、プロになれるほど努力できるものには出会えず。ただ、周りは就活を始めるので焦りも出てきていて……。それでも、どうしてもエンターテイナーになりたい夢が捨てられなかった私は、「もうニューヨークしかない! 」と思ったんです(笑)。

角田:THE! エンターテイナーな場所ですよね(笑)

土屋:そうそう! そこで休学してニューヨークに3ヶ月の短期留学をしました。とはいえ、なんのツテもなかったので、とりあえずインターンシップ斡旋会社に行き、「ニューヨークで1番エンターテイメントっぽい会社を紹介してください! 」って頼みました(笑)。そこで紹介されたのが「食」専門のPR会社だったんです。

スクリーンショット 2021-11-04 21.03.11

「食」の世界に魅了されて

角田:お仕事や休日など、ニューヨークではどんな過ごし方をされていたんですか?

土屋:インターンシップ先で任せていただいたお仕事は食メディアの運営だったので、飲食店のインタビューに行って記事を書いたり、とても充実した日々でした。お休みのときはミュージカルを観たり、ライブハウスや美術館に行ったりとにかく色々なエンタメに触れました。ただ、どうしてもやりたいことが見つからないまま、帰国のタイミングになってしまい……。

そのとき私が書き溜めていた「ニューヨーク行きたいところリスト」をふと見たインターンシップ先の社長が、「あなたレストランの項目が1番多いじゃない! 食が好きなんだよ! 」って言ってくださって、自分でも驚愕しました。え? こんなに食べることに興味があるのは私だけなの? って。たまたま巡り合ったインターンシップ先で、自分の「好き」が食に特化していることをそのときはじめて知ったんです(笑)。

そして社長から「私は、目も鼻も口も空間もすべてを使って、おいしいと思わせる食こそが究極のエンターテイメントだと思っている。だから食のPR会社を始めたのよ。」って言われて、もうビビビビって来て 、日本に帰国してからは、食関連に絞って仕事を探しました。

え? 私、ポテト屋さんになるの?

角田:僕たちの世代は大企業への就職を目指すことがまだまだスタンダードなところもあるのかな? と思うのですが、就職活動ではどういったキャリア選択を行ったのですか?

土屋:大手の就活ナビサイトなどで食関係を調べると、「従業員から店長に! 」とか「食品メーカーで新しい商品を作れる! 」とか出てくるので会社説明会も行ったのですが、なんか腑に落ちなかったんです。ただ、表参道にある屋台村「246 COMMON(※現在は閉店)」に道でばったり出くわして、こういうところで働きたい! と直感的に思い、知人の紹介で、246 COMMON内で屋台を営んでいた、フライドポテトと手作りジンジャーエールを扱う「BROOKLYN RIBBON FRIES」(以下BRF)でバイトを始めました。

そこでバイトをしながらも就職活動は続けていたのですが、ある日、BRFの社長から「BRFを法人化することにしたので社員にならないか。」と声をかけていただいて。戸惑った私は一旦持ち帰って親に相談したのですが、「必要としてくれる人がいるところで働くのが幸せなんじゃないか」と言ってくれた父の言葉に背中を押され、BRFに就職することを決めました。

ジンジャーシロップ片手に店舗を歩き回る日々

角田:社員第1号だったんですよね?

土屋:そうです。仲間もいない状況の中、私はジンジャーシロップを世に広める担当に就任したんですけど、社長に「毎月きみちゃんに給料を支払うには、何本のジンジャーシロップを売らなくちゃいけないかはわかるよね?」「やり方は自由! 来週のミーティングで会いましょう! 解散! 」って言われたんです(笑)

ひとまず、おしゃれな雑誌に掲載されているお店に片っ端から出向いて営業をしたのですが、なかなか買ってもらうまでのハードルは高く、苦労しました。今考えると無茶苦茶だったなと思うような、いろいろな方法で営業していました。例えば、「常連客になる作戦」(笑)。毎日同じ時間に1杯のコーヒーを飲むことを色々なお店でやったんです。すると店員さんから「いつも来ていただいてますよね? ありがとうございます。普段は何されているんですか?」と聞かれるので、その瞬間にジンジャーシロップを出すんです(笑)。

角田:おもむろに(笑)。

土屋:ただ、「分かりました。店長に相談しておきます。」って返答が多くて、それだとスピードが遅くて……1発で社長や店長に会うにはどうしたらいいかを考えて「マガジン作ってます作戦」を編み出しました(笑)。あまりにも素敵なお店だからどういう経緯でできたのかインタビューさせてくださいって伝えると、社長や店長が出てきてくれるんです。そして、そこでも帰り際に「あなたは何されているんですか?」と聞かれるので。

角田:はい、来た! と?(笑)

土屋:チャーンス! って、またそこでおもむろにジンジャーシロップを出すという作戦。他にもいろいろなやり方を試行錯誤しながら、2年くらいBRFの営業担当を続けました。

独立して作りあげた「目玉焼き」のブランド

角田:今はフリーで色々活動されていますが、独立にはどういった経緯があったのでしょうか?

土屋:新しいことに挑戦してみたい気持ちが芽生えていたので、いま考えるとめちゃくちゃな社員だったなって思うんですけど、そのまま正直に社長に伝えました。そうしたら「わかった。でも就職するな。まず独立してみろ! 」と言われて、やりたいことがきちんと定まっていない中、とりあえず独立したんです(笑)。

角田:社長の一言が独立のきっかけなんですか?

土屋:信頼している社長が言ってるんだから、ととりあえず鵜呑みにしました(笑)。ただ、周りに「独立しましたー! 」って宣言したら、「一緒にこれやらない?」って声がかかるようになったんです。

角田:「BROOKLYN RIBBON FRIES」時代の人脈ですか?

土屋:そうですね。あとは大学時代の友達とか、普段遊んでいる友達とか。私は未経験なことが多かったのですが、周りは優秀な方ばかりだったので、頼りながらも1つずつ仕事を受けていきました。

角田:周りにいる仲間と作りたいものを作れるっていいですよね。

土屋:20代後半になると、職場で与えられた仕事はできるようになってくるので、仕事以外の場面で「自分はこんなことができたら楽しいのになぁ……。」みたいな気持ちを持ち始めませんか?

角田:たしかに、自分もそうでした(笑)。

土屋:みんながやりたいことや、パワーを集結する場所を作ろうと思って、“鳥”居くんというメンバーと、私“きみ”ちゃんで目玉焼き屋さんを始めたんです。

角田:それはダジャレですよね?(笑)

土屋:はい!(笑)

角田:「NEW YOLK」はどういうブランドなんですか?

土屋:どんな料理にも目玉焼きをのせちゃう、がコンセプトの「目玉焼き専門ケータリング」を主として、「世界一食べづらいホットドック」を作って音楽フェスなどに出店していました。
一方で、色々なクリエイターの活動の場を作りたい想いも強かったので、私と鳥居くんをメインにしながらも、フォトグラファーやデザイナー、ライター、ペインター、大工さんなど幅広いクリエイターと共にブランドを「ショーケース」的に使い、色々なことにチャレンジしました。

養鶏所の悩みに応えるブランドも作る

角田:次に、鶏に関するブランドについてですが、そもそもなぜ鶏と出会ったのでしょうか?

土屋:私達も安易な考えなんですけど、「NEW YOLK」で活動をしているうちに、卵が生まれるところを見に行きたくない? 直接やりとりすれば卵を安く仕入れられるかもしれないし! って話になったんです(笑)。同世代で埼玉県の小川町で養鶏所をされている方がいたので、最初は遊びに行くぐらいの気持ちで見学しにいきました。そうしたらそんなことを言えないくらい感動しちゃいまして。まず、朝は太陽が登るより早く起きて鶏のエサの用意。卵を生むようになるまで半年間ひよこを大事に育てている姿を目のあたりにして……。そこからしばらくは、同じ感動を味わってもらいたくて色々な人を連れて行きました。

すると、養鶏所の方から相談を受けるようになりまして。養鶏用の鶏は1年半経つと卵を安定的に産まなくなるので、その時点で養鶏としては引退になるのですが、実は鶏って5〜10年くらい生きるんです。でも、新しいひよこも招き入れなければいけないので、ずっと飼っているとスペースがなくなってしまいますし、出て行ってもらう必要がある……。もし引退鶏の行き先が決まらない場合、状況によっては“産業廃棄物”として出さなくてはいけないという現状があり、それが苦しくて養鶏所を辞められるかたもいるほど。

私は能天気に、「食べたらいいじゃん! 鶏フェスとかする? 」って提案したのですが、実は食用と養鶏用の鶏は飼育環境も違っていて。例えば普段食卓で口にしている鶏肉の「若鶏」って何歳くらいの鶏かわかります?

角田:1、2歳ですか?

土屋:人間の基準で考えるとそうですよね。でも鶏の世界では生後2ヶ月程度の鶏のことを差します。養鶏所で卵を生んで引退する鶏は生まれて2年くらい経っているので、肉質が締まっていて固く、食感や味わいは普段食べている鶏肉と全く異なるため、チキンステーキや唐揚げなどには向かず、美味しく食べることのできる調理方法も限られています。

もう1つ課題があって、生きている鶏の解体と販売、加工にはそれぞれ別々の許可がいるということ。かなり複雑な実情があるのですが、養鶏を営みながら、自力で商品化することは人手的にも現実的じゃないと。。

角田:それぞれ許可が違うんですね。

土屋:そうなんです。どうやって解決しようと、悩みながらもまず私はとりあえず色々な料理人を小川町に連れて行ってみました。鶏を飼育している現場を見てもらって、実際に料理してもらうなど、手探りでしたが何か良いアイディアが生まれないかなと。そうすると、次第に思いに共感した人が増え始め、協力してくれる仲間のチームが出来始めました。そして、この活動に名前を付けようかとなり、そのときに「鶏革命団」と名付けました。

角田:最初はどんなことから始めたんですか?

土屋:(前述の)引退する鶏たちから鶏ガラスープを取ってラーメンを作ったり、ミンチにしてナゲットにしたりしてイベント出店しました。もっとたくさんの人に知ってもらえたらとの想いで、クラウドファンディングへの挑戦も試みました。実際にたくさんの方に協力いただきながら、試作やパッケージデザインを何度も見直して、活動開始から4年後の去年12月に鶏革命団、初のの商品として「黄金の鶏ガラスープ」を発売しました。

アイデア持ちはただの凡人

角田:食をテーマに色々なブランドを立ち上げられていると思うのですが、共通して大切にしていることはありますか?

土屋:「アイデア持ちはただの凡人だ」という言葉で自分にプレッシャーをかけています。どんなに面白いことを思いついても、形にしなければ意味がないと思っていて、うまくできなくてもいいからとにかく「1」を生み出すことは大切にしています。

角田:もう1つ印象的だったのが、仲間がたくさんいるという点なのですが、ネットワークを広げていく上で大切にしていることってありますか?

土屋:いい雰囲気の人でいることは心がけています。私の仕事は誰かの悩みや相談から始まることが多いので、いい雰囲気の人じゃないと巡ってこないのかなって。

角田:最後に、「食とその周りに集まる人を繋いでいくこと」を通じてどのような会社を作っていきたいですか?

土屋:昔、先輩から聞いた内容で「フランスにはプロカメラアシスタントという職業がある」、と聞いて、素晴らしいなと思ったんです。一般的にカメラアシスタントって、プロになる下積みだと思われがちだけど、社会的地位としても金銭面でも、アシスタントという職業がプロとして成立している。例えば料理人のキャリア形成って難しくて。ひとつの店で料理長の経験を積んだ後、その先は、だいたい、自分でお店を出すとかになるんですけど、美味しい料理を作れることと、お店を経営することは能力も、働き方も全く別物なんじゃないかと思っていて。美味しい料理を作るというスキルで形成するキャリアが、自分のお店をだすという1つのやり方に囚われることなく、その人に合った働き方を可能にしていく。料理人も含め、食業界に携わるアーティストたちが、好きなことだけで生きていける社会を作るために、サポートしたり、時には仲間を探してきたり、それが私の仕事だと思っています。

スクリーンショット 2021-11-04 20.59.35

対談を終えて

角田:特にBROOKLYN RIBBON FRIESでの地道な営業活動のお話は、僕自身の1年目の経験とも通じる部分があり、基礎スキルをつけることや、PDCAをまわしていくことの大切さは、どの業界・仕事においても大切なことだと改めて実感しました。企業でソーシャルブランディングや、コミュニケーション作りに関わる人も、土屋さんのように個人でそれらに取り組む人も視座は変わらないですし、さまざまな活動が、相互に関わり合ってポジティブなアウトプットを生み出していることがわかりました。

最後に:土屋きみさんプロデュース

モダン アジア 雑貨店「333 store」内に併設の、ベトナムのローカルスイーツ「チェー」とモダンにアレンジしたベトナム料理を扱う店舗
「Chè 333」のプロデュースと運営に携わっています。


この記事が参加している募集

最近の学び

おいしいお店

わーい!!
こんにちは。スパイスボックスです。真面目で個性的な人が働いてます。 私達が、どんなことを考えて、なにがスキで、どんなプライベートを送っているか、自由な発想でお届けします。たまに役立つ情報も書きます。https://www.spicebox.co.jp/